J_Coffeeの株式投資日記より 投稿者:bo_bokuwa_kiyoshi_nandana 投稿日:2006/07/15(Sat) 13:05 No.844 | |
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J_Coffeeの株式投資日記より、またお勉強させて頂きます。
http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/
(2000/12/16) 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券(前編)
私にとって、最もつらい経験は、1990年の平成バブルの崩壊です。発表しようとも思いますが、なかなかその気にはなれません。
ところが、この年、空前の利益をあげた証券会社があります。野村でも大和でもありません。外資系のソロモン・ブラザース証券が、巧みな方法で日本の市場を舞台に、安全かつ巨額の利益を手中に収めたのです。
同社のこの勝負を、振り返って見ましょう。
1989年11月9日、偶発的に、国境に押し寄せた東独市民により、ベルリンの壁が崩壊します。資本主義が社会主義より優れていることが、誰の目にも明らかになります。
株価の先高感が強まり、12月にはいり、 日経平均先物と現物との差がなんと1000円以上開いてしまうのです。 この先物高と現物安の異常格差が大問題だったのです。
ブラック・マンデーなどで裁定取引の経験を深め、鍛え上げた外資系証券会社と比較して、日本の証券会社や投資家は、知識不足で無防備でした。
ソロモンのトレーダーは、千載一遇のチャンスを逃さず、大きな勝負にでます。
1989年12月上旬、同社は、現物買いの先物売り(3月限)の裁定取引をなんと1900億円分実施します。ソロモンの現物買いでバブルは、ますます膨らみます。 1989年12月末、日経平均は、38916円の史上最高値となります。この瞬間がピークだったのです。
裁定取引は、株が上がろうが下がろうが利益には、影響を与えません。 現物と先物の差がどう変化するかで勝負が決まるのです。
1990年大発会以来、株価の不振が続きます。この値動きから、同証券のトレーダーは、日本株バブルの崩壊を確信します。
1900億円分の裁定取引から、最大の儲けを引き出すにはどうしたらよいか?思案を重ねます。
◆◆そして、バブル崩壊を促進するための秘策を思いつきます。◆◆ ◆◆ 1990年1月11日、その秘策は実行に移されます。◆◆ -------------------------------------------------------------------------------- (2000/12/17) 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券(後編)
ソロモン証券は、日本株の暴落へ備え、大量のプット(株を一定価格で売る権利)を買います。そして、ほぼ同時期の、1990年1月11日、不人気の国債の入札に参加、600億円分を購入します。
同社は、大証で購入した日経平均のプットの一部をもとに、アメリカ中の顧客に「日本株売りファンド」を販売します。(簡単にいうと一定金額を払い、日経平均が下がると下がった分だけ利益の出るファンドです。)
これで、準備完了です。
1月16日、ソロモン証券は、買って間もない大量の国債を、損を承知で投売りします。国債価格は暴落して、金利は暴騰します。日経平均と長期国債の金利のグラフの90年1月を見ると、両者の関係がよくわかります。
金利の上昇をきっかけに株価は下落、先安感が支配的になります。国債で損をしても、株がそれ以上に暴落すれば、同社は儲かるのです。
そして、運命の2月26日が巡ってきます。
先安感が強くなると、現物より先物のほうが早く下がる傾向があります。この日、日経先物は、ストップ安になります。
ソロモン証券は、この機を逃さず、大量の裁定取引を解消して巨額の利益を確定します。 下がりきった先物を買い戻し、大量の現物を売ったのです。
1990年2月26日同社の大量の現物売りが、東京市場に衝撃をもたらします。 日経平均は、34891円から33322円へとたった一日で4.5%も暴落します。
当時、日本の投資家(私もその一人)は、裁定取引についての知識がありませんでした。 翌日の朝刊には、外資系証券会社の裁定取引が暴落の原因、と書いてあります。
「なにか得体の知れない、ヌエのようなアメリカの怪物が コンピュータを使って暴れまわり、日本市場を破壊している。」 そんな印象でした。
ソロモンと同社から「日本株売りファンド」を買ったアメリカ国民は、日本株の暴落で膨大な利益をあげます。
◆◆無知で未開な市場は、◆◆ ◆◆先進技術を持ったアメリカ人に収奪されてしまうのですね。◆◆ ◆◆ 二度とこうしたことがないことを、日本人として望みます。◆◆
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